2012.0311





震災から1年。
何が変わって何が変わらなかったのか。
風景は変わらないし、アタシの周りに居る人たちも変わらない。
しかし、福島県は変わったままです。
「FUKUSHIMA」と呼ばれるようになりました。
毎日毎時、県内の空間線量がTVで知らされます。
公的施設には放射線量測定器が置かれています。
雪が積もってから、線量が低くなっているのは積雪の影響だそうです。
原発から100km、「FUKUSHIMA」とひとくくりにされて差別されてるようだけど、普通に暮らしてます。
毎日欠かさずに散歩にも出てます。
会津のコメも野菜も食べてます。
庭の雪も解けて来ました。
土が見えて、新芽が見え始めるとやっぱり気分がウキウキするね。
本当なら、仙台に行って息子のアパートの様子でも見て来るつもりだったのに・・・ダーリンまさかの昨晩飲みすぎ二日酔いで夕方までダウン(==;)
コタツでゴロゴロ~~結局震災関連番組なんて見てた。
―― 黙祷・・・・
去年の今日、TVでリアルタイムに流れた津波の映像と命からがら避難して来た人たちの、家族を思う言葉が今でもグッと来る。
揺れてる映像は平気。
そして、今日の岩手県の様に、春の雪が降ってる風景を見るとウルウル・・・
あの時はあの地震の後に、急に天気が変わって雪になって吹雪いたの。
外に出ていたかったんだけど、寒くて寒くて出て居られなくなって余震が続く中、家の中にいたわ。
大きな余震が来ると、犬猫連れて玄関に出る。
そして戻る。
室内でも厚着して、ベンチコート着ていつでも外に出られるようにしてた。
大きなバッグに犬と猫の避難用品を詰めてたが・・・人間用が無かったのが残念だったわwwww
携帯が圏外になる前にそれぞれ家族には連絡がとれたから一安心だったけど、すぐに使えなくなったから仙台の息子が心配になった。
先日の卒業式の日に、あの時息子がお世話になったアパートの友達に会ってお礼は言えたけど、「こいつがいい一番早く来た。暗くなる前に来た」って言ってた(笑)
お父さんがメールした時に「食糧を確保して避難しろ」って送ってたからかな?
まぁ行動は早かったらしい。
娘の卒業式をBLOGにUPすうる予定だったのにねェ。
式の後で教室に戻った時に子供達から親へ手紙が渡されて、受け取ったけど・・・家に帰ってからユックリ読む予定だったんだよね。
ランチして、おしゃべりしながら歩いて帰って、着替えてコタツでまったりしてたらTVからのキュインキュインて緊急地震速報でしょ、まぁ数日前にもあったからコタツで身構える位だったんだけどね。
まぁ~~揺れた時もすぐに止まると思ってたから、コタツで娘と笑ってたわよ。
でも止まんないから、「あれ?これは変だぞ?」って。
しかし、室内を見回しても仏壇の仏様が転げ落ちた以外は家具がグラグラする訳でもなかったので、座って収まるまでジッとしてました。
長い揺れが止まってから、ホッとしてたら外から話し声がしたので、「あ、避難しなきゃかな?」って感じで外に出たんだけど、外でも大きな揺れがあって怖かった。
それ以上に近所の子供が帰って来ないとか、子供しか家に居ないとか、そちらが心配になったわ。
近所の人が「宮城県震度7だって」って言われておで、息子がどうなってるのか心配でメールしたんだった。
そしてすぐに返信があったけど、情報を得るにはTVを見た方が早そうだったので、部屋に戻ってTVを点けたら、津波のライブ映像だったのでした。
自分たちが揺れてるよりも、その映像がショックでした。
最近は震災関連の番組を見るのが嫌になって避けて居ました。
特に原発関連ニュースが嫌で嫌で。。。毎日やってるからね。
忘れちゃいけないけど忘れられる物でも無いし、ただ平気に聞いたり見たり出来る強い心が欲しいね。
3月の風景は時々あの時を思い出してしまうね。
雪が解けた具合とか、降ってる感じとか。。。怖さじゃなくて、その後の不安な日々を思い出すね。
物が無い、車が走って無い、静かで暗い街。
あんな日々を二度と繰り返したくない。
今日は晴天で、地震も無くて良かった。
本来の芽吹きの春を楽しみにしたい。
娘からの手紙は何か月も経ってから、引き出しの中から見つけました。
揺れてる映像は平気。
そして、今日の岩手県の様に、春の雪が降ってる風景を見るとウルウル・・・
あの時はあの地震の後に、急に天気が変わって雪になって吹雪いたの。
外に出ていたかったんだけど、寒くて寒くて出て居られなくなって余震が続く中、家の中にいたわ。
大きな余震が来ると、犬猫連れて玄関に出る。
そして戻る。
室内でも厚着して、ベンチコート着ていつでも外に出られるようにしてた。
大きなバッグに犬と猫の避難用品を詰めてたが・・・人間用が無かったのが残念だったわwwww
携帯が圏外になる前にそれぞれ家族には連絡がとれたから一安心だったけど、すぐに使えなくなったから仙台の息子が心配になった。
先日の卒業式の日に、あの時息子がお世話になったアパートの友達に会ってお礼は言えたけど、「こいつがいい一番早く来た。暗くなる前に来た」って言ってた(笑)
お父さんがメールした時に「食糧を確保して避難しろ」って送ってたからかな?
まぁ行動は早かったらしい。
娘の卒業式をBLOGにUPすうる予定だったのにねェ。
式の後で教室に戻った時に子供達から親へ手紙が渡されて、受け取ったけど・・・家に帰ってからユックリ読む予定だったんだよね。
ランチして、おしゃべりしながら歩いて帰って、着替えてコタツでまったりしてたらTVからのキュインキュインて緊急地震速報でしょ、まぁ数日前にもあったからコタツで身構える位だったんだけどね。
まぁ~~揺れた時もすぐに止まると思ってたから、コタツで娘と笑ってたわよ。
でも止まんないから、「あれ?これは変だぞ?」って。
しかし、室内を見回しても仏壇の仏様が転げ落ちた以外は家具がグラグラする訳でもなかったので、座って収まるまでジッとしてました。
長い揺れが止まってから、ホッとしてたら外から話し声がしたので、「あ、避難しなきゃかな?」って感じで外に出たんだけど、外でも大きな揺れがあって怖かった。
それ以上に近所の子供が帰って来ないとか、子供しか家に居ないとか、そちらが心配になったわ。
近所の人が「宮城県震度7だって」って言われておで、息子がどうなってるのか心配でメールしたんだった。
そしてすぐに返信があったけど、情報を得るにはTVを見た方が早そうだったので、部屋に戻ってTVを点けたら、津波のライブ映像だったのでした。
自分たちが揺れてるよりも、その映像がショックでした。
最近は震災関連の番組を見るのが嫌になって避けて居ました。
特に原発関連ニュースが嫌で嫌で。。。毎日やってるからね。
忘れちゃいけないけど忘れられる物でも無いし、ただ平気に聞いたり見たり出来る強い心が欲しいね。
3月の風景は時々あの時を思い出してしまうね。
雪が解けた具合とか、降ってる感じとか。。。怖さじゃなくて、その後の不安な日々を思い出すね。
物が無い、車が走って無い、静かで暗い街。
あんな日々を二度と繰り返したくない。
今日は晴天で、地震も無くて良かった。
本来の芽吹きの春を楽しみにしたい。
娘からの手紙は何か月も経ってから、引き出しの中から見つけました。